坂本龍馬の生涯をあほでもわかるように解説!なぜ暗殺されたのか?
名前は知っていても詳しくは知らないあなたへ。土佐の下士から幕末最大の立役者へ駆け上がった坂本龍馬の生涯を、脱藩・薩長同盟・大政奉還・近江屋事件での暗殺の謎まで、初心者向けに超わかりやすく解説します。
「坂本龍馬」ってそんなにすごいの?
幕末の志士の中で、なぜか現代でもダントツの人気を誇る男がいます。その名は坂本龍馬。
大河ドラマになり、銅像が建ち、高知では今でも「龍馬さん」と呼ばれ愛され続ける。でも、いざ「龍馬って何をした人?」と聞かれると、意外と答えられないですよね。
「なんか幕末で活躍した…?」「暗殺されたんだよね…?」
そんなあなたのために、龍馬の生涯をできる限りわかりやすく解説します。読み終わったら、きっとあなたも龍馬ファンになっているはずです。
生い立ち──土佐の「下士」というハンデ
龍馬は1836年(天保6年)、土佐藩(今の高知県)に生まれました。
土佐藩には厄介な身分制度がありました。上士(かみざむらい)と下士(しもざむらい)という厳格な階級です。龍馬の家は郷士(ごうし)という下士の家柄。上士とすれ違えば道を譲り、下手をすれば斬り捨てられても文句も言えない──そんな理不尽な世界に龍馬は生まれたのです。
幼い頃は泣き虫で、母を早くに亡くし、姉の乙女(おとめ)に育てられました。しかし剣術道場に通い始めると才能が開花。19歳で江戸に剣術修行へ旅立ちます。
この江戸遊学が、龍馬の人生を大きく変えることになります。
脱藩〜勝海舟との出会い──常識を破る男
江戸で黒船来航のショックに触れた龍馬は、「このまま土佐でじっとしていられるか!」と思い始めます。そして1862年(文久2年)、龍馬はついに脱藩します。
脱藩は当時、お家断絶・死罪にもなりかねない大罪。それでも龍馬は飛び出しました。「もっと大きな舞台でやることがある」と感じていたのでしょう。
脱藩後、龍馬は暗殺対象として幕府に追われながらも、ある人物に会いに行きます。それが勝海舟(かつかいしゅう)。
なんと最初は「斬りに行った」のです。勝を攘夷(外国人を追い払え)の邪魔者とみなして。ところが勝の話を聞いた龍馬は完全に打ちのめされ、その場で「弟子にしてください」と頭を下げました。
勝は当時、日本に海軍が必要だと力説していました。龍馬はその考えに目を開かれ、海援隊(かいえんたい)という貿易・海運会社兼武装組織を作る夢へと向かっていきます。
薩長同盟の成立──龍馬最大の功績
龍馬の最大の功績といえば、薩長同盟(さっちょうどうめい)の成立(1866年)です。
薩摩藩(今の鹿児島)と長州藩(今の山口)は、当時ものすごく仲が悪かった。いわば「不倶戴天の敵」。長州が京都で暴れれば薩摩が鎮圧に動くほど対立していました。
「この二大勢力が手を組めば、幕府なんて倒せる」──龍馬はそう考えました。
龍馬は薩摩の西郷隆盛や大久保利通、長州の木戸孝允の間を奔走し、粘り強く交渉します。最終的に両藩は同盟締結。龍馬はその証人として署名まで行いました。
これがなければ明治維新はなかったかもしれない。それほどの歴史的大仕事でした。
大政奉還への道──「船中八策」という青写真
薩長同盟を成し遂げた龍馬は、さらに先を見ていました。
1867年、龍馬は船の中で新国家の設計図を書き上げます。後に「船中八策(せんちゅうはっさく)」と呼ばれるこの文書(正式名称は「新政府綱領八策」)の内容は、驚くほど先進的でした。
- 政権を朝廷に返す(大政奉還)
- 上下院を設置する(議会制民主主義!)
- 優れた人材を身分に関係なく登用する
これはのちの大政奉還・明治政府の骨格となる構想です。龍馬は単なる「剣士」ではなく、国家のビジョンを描ける政治家でもあったのです。
そして1867年10月、第15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を宣言。龍馬の夢が一つ、現実になりました。
暗殺の謎──近江屋事件、犯人は誰だ?
しかし、その夢の達成からわずか1か月後の1867年11月15日(龍馬の誕生日でもある日)、京都・河原町の近江屋(おうみや)という醤油商の隠れ家で、龍馬は何者かに斬殺されます。享年33歳。
犯人については今も諸説があります。
説1:京都見廻組(きょうとみまわりぐみ) 幕府の治安組織。佐々木只三郎(ささきたださぶろう)が主犯という説が有力で、明治以降に関係者の証言も出ています。現在最も支持されている説です。
説2:新選組 近藤勇の組織。しかし当時の新選組の行動記録と一致しない点が多く、現在では否定的な意見が多い。
説3:薩摩藩の陰謀 大政奉還後に龍馬が「新政府には薩長だけでなく幕府も入れるべき」と主張し始め、薩摩の強硬派に疎まれたという説。
いずれにせよ、龍馬は「幕府が倒れた後の日本」まで見据えていた。その先見性が、誰かの脅威になったのは確かでしょう。
龍馬が残したもの
33年という短い生涯で、龍馬が残したものは計り知れません。
薩長同盟がなければ倒幕は難しかった。大政奉還の構想がなければ内戦はもっと長引いたかもしれない。海援隊の活動は日本の近代商業・海運の先駆けでもありました。
何より龍馬が示したのは、「身分・常識・既存のルールに縛られるな」というメッセージです。下士の出身でも、脱藩という大罪を犯しても、敵同士を結びつけた。それは「やりたいことをやり切った男」の生き様そのものでした。
まとめ──龍馬をもっと好きになるために
龍馬の生涯をざっとたどってみましたが、いかがでしょうか。
もっと龍馬の世界に浸りたいなら、大河ドラマ「龍馬伝」(2010年・福山雅治主演)がおすすめです。福山龍馬のかっこよさが半端なく、幕末の空気感が映像で伝わってきます。各種VODサービスで配信中なのでぜひチェックを。
また、龍馬ゆかりの地を旅するのも最高です。生まれ故郷の高知県には龍馬の生家跡や「坂本龍馬記念館」があり、桂浜の銅像は圧巻。海援隊を組織した長崎では、当時の街並みの名残を感じながら龍馬の足跡をたどれます。
「あほでもわかる日本史入門ブログ」では、これからも幕末の人物をわかりやすく紹介していきます。次回もお楽しみに!
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